キリストの生誕とクリスマスプレゼントの起源

クリスマスとは英語でキリストのミサという意味で、救世主のイエス
キリストの誕生を祝う祝日のことなのですよ。
ドイツ語ではウァイナハテン(聖夜)と言います。
イエスキリストの誕生日は新約聖書のマタイとルカの福音書に書かれて
いますが、それがいつだったのぁは具体的に何月何日なのかは定かで
はありません。
カレンダーも時計もなかったなかった時代には、時間の概念は今より
はるかにおおざっぱなものであったと思われますので、記載がないこと
でけを判断して史実とは言い難いものがあります。
西暦というものは、キリストの誕生日をもとに計算されています。
これをキリスト紀元といいます。
今では、キリストが生まれたのは紀元前4年~5年というのが定説と
なっております。
この4年から5年の誤差はなぜ生じたかたといいますと、修道士・
数学者・天文学者であるディオニシウス・エクシグウスがキリスト紀元
を提唱した際に、計算を間違えたからなのです。
3世紀までは、クリスマスの日付も祝い方も統一されておらず、イエス
が洗礼を受けて神の子として公に現れたことを祝う1月6日の公衆祭が
キリスト教徒にとっての新年の始まりとされて、この日をイエス・
キリストの精神的な誕生の日と祝ってきました。
新約聖書のマタイによって書かれた福音書では東方の博士が、ルカに
よる福音書では羊飼いが、それぞれ星や天使の大群に導かれて、生まれたばかりのイエスキリストをベツレヘムの岩屋に訪ねたとされています。
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3つのキリストの名前を覚えてクリスマスプレゼントを楽しむ

いずれにしても訪れた人数ははっきりしていません。
しかし、マタイによる福音書では、博士が3つのプレゼントを持参した
ことから人数は限定され3人とされ、この3人に「カスパール、
バルタザール、メルキオール」という名前が付けられました。
この東方の3人の博士は日本では3賢人、ドイツでは3人の王と言われることもありました。
博士、賢人、王というよりもむしろ占星術師・天文学者と呼ぶべき
人たちであったというのです。
紀元前5年頃には実際に彗星がベツレヘム上空あたりに現れています。
したがって、来訪者が星に導かれてベツレヘムの岩屋にたどり着いた
という話は、あながちありえないことではないのです。
326年、ローマ皇帝で最初のカトリック教徒となったコンスタンチヌス
大帝が、イエス・キリストが生まれたとされるベツレヘムの岩屋に
生誕教会を築いたのです。
コンスタンチヌス大帝は他にも聖堂建築の基本となる豪華な聖堂
を数々作り上げた人数でありますが、キリストの降誕祭りが12月
25日に行われるようになったのはこのコンスタンチヌス大帝時代
のローマにおいてで、325年から354年の間とされています。
この年の12月25日には、ローマでキリストの降誕祭が行われたことが
確認されています。
12月25日はもともと、地中海一帯で信仰されていた太陽神ミトラス
の主祭日で、また北欧の冬至祭の日でもあり、そこにキリスト教の
救世主の降誕祭が付け加わり3つの光の祭事が合体しました。

12月25日の降誕祭はクリスマスプレゼントを贈る時なの?

4世紀の末には、ほぼ全教会で12月25日が降誕祭となりました。
当初のローマでは25日の日中にミサを行っていましたが、5世紀に
なると12月24日の夜にミサを行うようになりました。
そして、降誕祭から公現祭までを祝祭日とする降誕節が成立しました。
クリスマス前の4週間をキリスト教ではキリストの降臨、すなわち救済
の到来を意味します。
5世紀から罪を悔い、断食を行い、キリストの降臨を待ち望むクリスマスの準備期間というアドベント(ドイツ語)の定義が定着します。
なお、日本語ではこの期間を待降節と呼びます。
毎年12月はクリスマスやイースターなどの復活祭などキリストの
生涯を年中行事として祝う教会暦の始まりでもあります。
クリスマス前の4回の日曜日を、順に、待降節第一主日、待降節第二主日と呼んでいます。
第4アドベントが来ればクリスマスはもう目前に来ていることになり
ます。
アドベントの習慣にはキリスト教ばかりでなく異教の習慣も混在して
いるのです。
一年で最も暗いこの時期に悪霊が俳諧するとされて、悪霊を追っ払い
良い聖霊や聖人を保護する目的で、騒々しい音を出してり光をあがめ
たりといった祭事が行われました。
かつては、アドベントには家族や女性の友人が集まって、クリスマスの
準備として糸つむぎや編み物、機織りなどの手作業を行いました。
このような集いは、糸つむぎと呼ばれ、暖房や照明経費を節約する
ため各家庭で持ち回りで行われることもありました。
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イギリス・アメリカのクリスマスプレゼントは早い時期から準備

12月という季節は歌を歌ったり、本を読み上げたり、物語を語ったり
もしました。
アドベントの期間は、断食の時期でもあったので、最初の2週間は
ダンスと結婚は禁止され、教会の鐘も鳴らすことはありませんでした。
また、ドイツでは2週間の断食が始まるまえに、農民が11月11日に開催
される聖マルチン祭りで収穫に感謝しつつ、ガチョウをごちそうに食べ
るようになりました。
このクリスマスに食べるガチョウは格別に美味しいですね。
イングランドやアメリカでは、例えば、ニューヨークのロックフェラー
センター前広場やロンドンのトラファルガー広場などでは、街中に
飾られるクリスマスツリーの点灯を11月の始めから、中旬に行います
が、ドイツやオーストリアでは11月末から12月初め頃に行いうことに
決まっています。
そして、様々なクリスマス飾りやクリスマスプレゼント用品の屋台
が並ぶクリスマス市もこの時期に開設されます。
ドイツでも年々、クリスマスのお菓子類が店に出回る時期が早まり、
早いお店では夏休みが終了する頃にはもう店頭に並び始めます。
しかし、クリスマスツリーの点灯とクリスマス市の開設だけは今でも
11月の中旬以降です。
クリスマスから1月6日の公現祭までの12日間、あるいは1月6日の前夜祭
を十二夜と呼んでいます。
ローマ時代にはこの間には農民祭を行っていましたが、これはイギリス
でクリスマスをにぎやかに祝う習慣につながっています。

冬至にかけてクリスマスプレゼントは毎年の行事です

十二夜の間は、冬至の闇に悪霊がさまよい、動物も話をするとされて
いました。
クルミ割り人形とネズミの王様もこの言い伝えから作られた話であり
ます。
12月24日のクリスマスイブまでに家に内外をきれいにして、洗濯も
すませ、人から借りているものはすべて返し、ごちそうの準備を
整え、一年の仕事納めをするのは、十二夜の間は家事も農作業も
一切してはいけないとされているからです。
このことは、人間が一年の終わりまでにやるべきことをやっていないと
大地の女神が怒り狂って、嵐や悪霊を地上に呼ぶとするゲルマン民族
の古代信仰が、キリスト教と融合して生まれた風習であります。
なお、当時では、夜の最も長い冬至が一年の最後の日とされていまし
た。
この風習には、1年中忙しくて働いている主婦を農作業が暇なこの
季節にゆっくり休ませようとする意味もあって、そこから十二夜最終日
の1月6日は女のクリスマスとも呼ばれています。
そして、ドイツやオーストリアでは、クリスマスのあと1月6日まで
子どもたちが三王に扮し、各家を訪れてクリスマスの曲を演奏して
恵まれない人や第三世界への慈善のために、寄付を集めて回ります。
先頭を走っている子供が棒の先に付けた星を掲げて歩くことから、
ドイツ語では星歌ともいいます。
もともとはですね、カトリック地域で始まった習慣ですが、今では
ベルリンなどのプロテスタント地域でも行われ、毎年の寄付総額は
テレビのニュースでも報じられています。

ロウソクの灯とクリスマスプレゼントの秘話

アドベント・クランツとはいったい何でしょうか。
それは、モミやドイツトウヒの枝、もしくはウラを環状に形作り、
そこにロウソクを4本付けたものです。
家庭用には、直径30センチほどのものが一般的です。
それを天井からつるしたり、あるいはテーブルの上などに置き、
第一アドベントには一本目のロウソク、第二アドベントには一本目
と二本目のロウソクに火を灯します。
そして、第三アドベントには一本目と二本目と三本目のロウソク、
第四アドベントにはロウソク4本全部に火を灯します。
こうして、ロウソクの火が段々と増えていきクリスマス直前に光が
最大となるのは、キリストの降臨が近づくにつれて闇を照らす光
世界を照らす光が徐々に増していくことを表しています。
キリストの降臨を1週間ずつ、目に見える形で待ち望み、クリスマス
当日にも4本のロウソク全部に火を灯して、キリストの生誕を祝い
ます。
アドベント・クランツは、ロウソクもついていますが、あるいは
ロウソクのないものを花屋などで買うこともできますが、自分で作る
家庭もあるのですよ。
また、最近は形にこだわらずに4本のロウソクを大きな皿に並べたり
しゃれたキャンドルスタンドを使ったりと、インテリア感覚でおしゃれ
な演出を行う家庭もあります。
いずれにしてもポイントは4本のロウソクなのです。
教会、家庭、学校、オフィスなど、ドイツや北欧では、あらゆるところ
でアドベント・クランツもしくはロウソクを見ることができます。

キリストとクラスマスプレゼントの叫び

たいていは、アドベント期間の朝食時にロウソクに火を灯し、朝食
がすむまで火を付けておきます。
日本より緯度が高くかつ天気も悪いドイツでは、秋以降になると、
アドベント期間以外にも週末の朝食時やお茶の時間にロウソクを
灯すことがありますが、なかなか風情があってよいものです。
アドベント・クランツのロウソクは、夜にも再び灯されます。
ワインあるいはグリューワインを飲んでクリスマスのクッキーを
つまみながら、ロウソクの明かりのもとで会話を楽しむにはたいへん
すばらしいことですね。
アドベント・クランツは、異教時代からのサークル及び常緑樹信仰
の名残です。
農民は、常緑樹で作ったリースを家や納屋のドアに取り付けました。
自ら完結している形の環は悪霊の侵入を防ぎ、中にいる者を守る
とされています。
さらには、生命の色である緑は果実をつける植物を災いから守る意味
を持ちます。
また緑は三位一体の色であり、キリストと信徒との相互の忠心や希望
と喜びを表しています。
そのため、本来アドベント・クランツには、光を表す金色と生命
を表す赤のリボンを巻きつけ、赤もしくは白のロウソクを使用します。
赤はキリストの血を表してもいます。
純潔・完全性・絶対性を意味する白は、カトリック教会ほか各教会
において降誕節の典礼色であるのです。
他に待降節の色とされる紫のロウソクが使われることもあります。

北欧でのクリスマスプレゼントは日めくりカレンダーがおすすめ

19世紀の中頃、ドイツのハンブルクにプロテスタントの牧師がいまし
た。
キリスト教の社会事業団の創始者の男性は、職業訓練所を兼ねた少年院
を設立し、院長を務めていました。
彼は院の礼拝堂にでかい24本のロウソクを立てて、12月1日から毎日
1本ずつロウソクに火を灯し、子供たちとお祈りを行い、キリストの
生誕を待ち望みました。
これこそが、アドベントクランツの起源とされています。
当初、このお祈りは昼に行われていましたが、やがて夕暮れ時に行われるようになりました。
また、初めはただロウソクを並べただけだったが、友人の建築家
が、直径2メートルの木製の輪を作ってくれました。
この輪にはロウソクを立てる穴が開いていて、ここにロウソクを
立てて院の集会室の天井からつるし、集会室の壁を緑の枝で飾りま
した。そして、この木製の輪も緑の枝で飾るようになりました。
その後、各地にいた彼の同僚がこのアドベントクランツを取りいれた
ため、次第にこの習慣は北ドイツ全土までに広がり、北欧やカトリック
地域の南ドイツやオーストリアにも伝わりました。
しかし、アルプスを越えるところまではいかなかったようで、イタリア
では見かけません。
はじめに、イタリアの教会にアドベントクランツがないことを不思議
に思ったものですが、ドイツ発祥であることを知って納得してしま
いました。
クリスマスといえば、12月1日から24日まで、カレンダーの小窓を
毎日一つずつ開けていくアドベントカレンダーが必需品ですね。

12月に入ってからの子供の行儀でクリスマスプレゼントの内容が変わる

小窓の中に描かれた絵や、小窓の中に入っているお菓子やおもちゃ
を楽しみにクリスマスを待ちます。
ドイツだけでなく、アメリカ、イギリス、北欧などの各国の子ども
たちにとって、今やクリスマスシーズンにはなくてはならないアイテム
であります。
日本でも最近、クリスマスカレンダーとして知られるようになりまし
た。
プロテスタントの興隆に伴い、子供たちがプレゼントをもらう日は、
12月6日の聖ニコラウス祭から24日のクリスマスイブになりました。
カトリックでは教会や修道院においてアドベントの祭事が行われて
いましたが、プロテスタントの家庭では、子供たちにアドベントを
楽しく過ごさせる工夫がこらされてきました。
子どものための工夫として、たとえば1本の長いロウソクに24の目盛
りを付け、12月1日から毎日一目盛りずつ火を灯していくものや、
手作りの日めくりカレンダー、または、たんすの扉などにチョークで
24本の短い線を書き、それを一日ずつ斜線で消していくもの、
飼い葉桶に毎日ワラを1本ずつ入れていくもの、小さなクッキーを
24個台紙に糸でくくり付け、子供たちが12月1日から毎日1個ずつ、
クッキーを取って食べられるようになっているものなどがありました。
ただし、これはいずれも、子供がその日1日良い子でお祈りもきちん
とした時だけやらせてもらえたことで、しつけの意味も含んでいまし
た。

モミの木の絵が描いてある日めくりカレンダーに助けられて、胸を
ときめかせながらクリスマスプレゼントを待っていた気持ちがわかり
ますね。
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良い子と悪い子には相応のクリスマスプレゼントをあげる

世界で初めて印刷されたアドベントカレンダーは、ハンブルクの
プロテスタント系の出版社が作りました。
いわゆる「クリスマス時計」という名前がついたもので時計の文字盤
にあたる部分が十二分割されて、そこに十三から二十四までの番号
が振られ、それぞれに聖書の一節やクリスマスキャロルの歌いだし
部分が記されています。
真ちゅうの針が付いていて、それで一日一日を指し示すようになって
います。
十二日または二十四日間用の手作りのクリスマス時計は、すでに
存在していました。
アドベントカレンダーの原型とはいったいどんなものか謎にせまって
みましょう。
ますは、新聞の定期購読者に子供用のおまけとして付けたのです。
これを作った人は、子供の頃に、母親がアドベントを楽しく過ごさせて
くれたその思い出が、成人した彼にアドベントカレンダーを作らせた
のでした。
はじめは、ミュンヘンのクリスマスカレンダーとして発売されました。
現在のような一日ごとに小窓を開けていくタイプではなく、逆に、
切り取った小さな紙を、台紙に貼っていくものでした。
天使がクリスマスの準備をしている様子が23コマ目に描かれて、
二十四コマ目には天使がベルを鳴らして幼児キリストの到来を告げて
います。
12月6日は寒いので手袋をはめた大人が森にクリスマス用の木を切り
に行きます。
天国で飾りつけをするのです。
大きな袋にはいろいろな物が入っています。
良い子にはナッツを、悪い子にはムチをそれぞれのクリスマスプレゼントを準備していました。
また、年があけてからはバレンタインデーがあり、会社内では義理や人情といった言葉が出てきます。3月のはバレンタインのお礼という意味でホワイトデーお返しをしなければいけません。男にとっては嬉しいやらめんどくさいです。